最近めちゃくちゃ老化が怖い。
母親も更年期にさしかかり、最近機嫌に波が出てきた。普段なら怒らないような些細なことでもキレたりヒステリックを起こしたりするのだ。
具体的に言うと、完全に私が最低な例だが、私が「うんちょっちょ!」と話しかけたらめちゃくちゃキレられた。
「何!?うんちょっちょって!私うんちょっちょじゃないんだけど!」
いや、そうです。私が悪かったです…。普通に…。
例が悪かった気がしないでもないが、ここで「うんちょっちょ」は普段ならここまで真剣にキレたりしないのに、キレた、ということが問題なのであって、「うんちょっちょ」が最低に下品なのは100も承知である。
50歳くらいになって、私が「うんちょっちょ」と呼びかけられて真剣にキレてしまったら、という恐怖もあり、更年期について調べてみることにした。
更年期は女性は閉経前後の10年間になるらしい。そして、女性だけではなく男性もなることがある。怖い。自分の感情のコントロールが効かないという経験は、月経一週間前のPMSか、体調不良時など…、あれ?結構してるな?
とにかくそういう感情のコントロールが難しくなるときの悲しさはとても身にしみてわかるので、尚更更年期に差し掛かりたくないという思いが強い。
私は最近物忘れも激しく、特に短期記憶が弱い。
私が今日今この時文章を書いているのは、まとめサイトに「老化による物忘れを防ぐためには、文章を書いたりするのがよい」と書いてあったためで、そのためだけにものすごく久しぶりにブログを起動した。
精神が不安定になった際、私の人生についてというかなり大それた記事を書こうとした形跡(下書きに残っていた)がみられ、頭を抱えてしまったことをここに懺悔しておく。
最近私は介護老人ホームの厨房で働いている。
厨房で働いていると、ご老人たちが食べるものを直接目の当たりにすることになり、それらは、決して食べたいと思うような形をしていないことが多い。
これは個人的感想だが、形態によっては食べ物としての原型をとどめていなかったりして、(嚥下や歯の関係上仕方ないことではある)あまり食欲をそそる見た目ではない…。
そういうものを見てしまうと、歯を大切にしよう、など歯磨き粉のCMのような標語が頭に浮かんできたり、まあとにかく老後について色々考えざるを得ない。
私の想像している「老化」へのマイナスイメージがどんどん膨らんできて、今私の中の「老化」は、記憶障害や、誰かにあたってしまう私や、美味しくなさそうな食べ物を知らない誰かに食べさせられることなど、そういうイメージになりつつある。
ここでひとつの疑問が浮かんでくる。
いい人はそのままいい人で老人になれるのか?
私にはわからないが、バイト先で働いている方に、60代の方が2人おり、その2人はとても対照的である。
片方は嫌われ、片方は周りに好かれている。
なので60代になっても多分、人間その人の芯みたいな部分はきっと変わらないと私は信じたい…。
私が善人か、善人の定義とはなにかとはここでは議論しないこととするが、その原理で行けば私はきっと60代になっても同じままの私でいられると思う。
もちろんなにか未来で安楽死が選択できるようになったら好きなタイミングであっさり死にたい願望はある。
しかし倫理観的なところでそれが実現するのは私が生きている間は無理なんじゃないかな。知らんけど。
私が老化に怯えているのは、酒に怯えていることと似ている。踏み出したことがないからわからない事柄について、他人の情報から不安を膨らまし、それを遠ざけたがる。
父親がアルコール依存性で、酒を飲むと気が大きくなって怒鳴る人だったので、私もそうなのではないか…という不安がいつまでたっても抜けない。幸か不幸か私には体内のアルコール分解酵素が皆無なので、全く酒が飲めないのだが…。
しかし酒が好きでものすごく飲む知人に1人とても優しい、酒をいくら飲んでも性格が変わらないと思われる友人を1人知っているので、私はその友人を情報源とし、そちらを全面的に信頼して言うが、酒を飲んでも変わらない人は変わらない。
「お酒のせいじゃない。あなたのせい。」みたいな内容の張り紙を駅構内で見かけるが、まさにその通りだと思う。
だからきっと私は老化しても他人に理由もなくあたったりすることはないはずだ。多分だけど…。いや、気をつけよう。
かなり話が飛び飛びになってしまったが、私の老化に対するモヤモヤした不安を書き出して今日はここで終わりにしたい。結論をしっかりつけるとなんとなく不安が解消されたような錯覚を覚えられる単純な思考回路でよかったなと思いながら、私は今日も自室のトイレで「ウンチョコチョコチョコピー!!!!!!」と叫ぶのだった…。