左手ちゃんの日記

すぐしにたくなっちゃう人の日記

承認欲求の正体

お久しぶりです。左手ちゃんです。

 

会社では無事新人研修が終わり、新人の成果発表を取り仕切って、今期の新人教育は終わりを告げました。(振り返りなどは残っていますが…)

 

私が採用してきた新人たちはとてもいい子たちばかりだったので、私も大変誇らしい気持ちで居ました。(例年より優秀だったため、新人の評価も高かったのです)

 

だけど、私の中の承認欲求が暴れています。

「私も新人研修の運営がんばったんだから、もっと褒めて欲しい」

「もっと言うとこの子達を連れてきたのは(採用したのは)私なんだから、私も褒めて欲しい」…。

 

でも、私の理性は「1年生が主役なのだから、私は影で支える役割であるべき」だと言っていて、相反するふたつの感情が綯い交ぜになって、また泣いてしまいました。

 

しかも、こういう時に限って、1番褒めて欲しい相手には褒めて貰えず、なぜかセクハラおじさん(新規)から「新人もよくやったと思いますが、貴女のリーダーシップは不可欠だったと思います。ご苦労さまでした。」とメールが来ていて、それを喜びたくない自分と、喜んでしまう自分が戦っていて、もうグチャグチャです。

 

自分はどうしてこんなに承認欲求が高いんだろう、と思い、おそらくそれも過去のなにかだろうと考えたのですが、2つほど心当たりがありました。

 

1つは、兄妹で私はいつも、無駄にいい子にしてしまっていたことです。

 

どういうことかと言えば、兄2人は塾に通っていました。でも私は、塾に通うのにはお金がかかることがわかっていました。

お母さんはいつも、塾に通うのにはお金がかかると言っていたからです。

それを聞いていた私は、自分の家が貧乏であることもわかっていて、無駄にいい子ちゃんムーブをしてしまったのです。

塾に通わずに自力で勉強をして、県立高校に入学しました。

 

でも、親は褒めてくれませんでした。

だからいつも、褒めて欲しい時は自分で言ってきたのです。

自分のどこがえらいかすごいかを説明して、褒めて!って。

でもずっとずっと、そんなこと言わなくても、褒めて欲しかった。認めて欲しかった。すごいねって。

何しても、そんなこと一言だって言われなかった。

私が無駄に頑張って、損しただけ。

 

1つ目終わり。

 

2つ目は、それに拍車をかける出来事がありました。言わずもがな宗教です。

 

良いことがあったら宗教のおかげなので、自分がどれだけ頑張ってテストでいい点をとっても、宗教のおかげになってしまいます。

 

だから私はずっと、お母さんに褒めて欲しくて、色んなことをしたけれど、それは母親にとってなかったことになっているらしくて、もう全部全部無駄でした。

 

でも別に、努力をすることが嫌いになった訳ではありませんでした。(なぜかはわかりません)

 

ただ、認めて貰えなかった私だけが、いつも心の中で置いてけぼりにされていて、いつも誰にも拾って貰えない、そんな気持ちでいるのです。(実際いつも通り悲観的になりすぎているだけで、そんなことはないのですが)

 

それでも最近少しずつ自分で自分の機嫌を取れるようになってきて、1人で抱えきれない時は誰かに話を聞いてもらったり、今日は帰りにコンビニ寄ってプリン買ったりしています。

自分が本当は好きじゃない人とかに話を聞いてもらおうだとか、そういう邪な気持ちも芽生えたりしますが、そういうのは無視できるようになりつつあります。

 

私の気持ちは、誰かに拾って貰える日は来るのでしょうか。

私はいつか、誰かの1番になれるのでしょうか。

 

それはまだわかりませんが、今はもう少しだけ踏ん張りどころかもしれません。

いつまで踏ん張ればいいのかも見えてこないけど、大好きな友達が何人かいるし、もうすぐ好きなゲームが発売するし、それで何とか食いつないでる間は、大丈夫なんだと思います。

 

それではこのへんで。