こんばんは。左手ちゃんです。
色々ありますがなんとか生きています。
今日は大層な題名ですが、いつも通りたいした話ではありません。
友達と、就活の時にクソほどやりまくった性格診断テストのようなものをやってみようか、という話になり、それ系の診断をやってみたのですが、自分には「許し力」が圧倒的に足りていないようだ、ということがわかりました。
(ちなみにどの程度足りていないかと言うと、棒グラフで各数値が伸びているのですが、「あれ?画面のゴミかな?」と思うほど、ありませんでした。多分最小値。)
許すことが苦手であることはなんとなく感じてはいましたが、まさかこれほどとは思いませんでした。
最近仕事で関わっている上司の1人が仕事ができるとは言えないような人(オブラート)で、私はそれでいちいちイライラして、でも言い方がきつくなってしまっている自覚があって、自分の怒りをコントロールするということについて調べていました。いわゆるアンガーマネジメント、というものです。
(大抵、怒りのピークは6秒、とか言ったようなことが書いてあるのですが、6秒で怒りが収められたら警察も戦争もないだろ、と思うくらいには許し力が低いです。)
怒りをコントロールするということは、許すということでもあると思います。そもそも寛容な心があれば、怒りも発生しないはずです。
しかしここで自分との矛盾が発生し苦しみが出てきます。
上記の理屈からすると、他人を許せなかったり、怒りを持つことは寛容でない、心が狭い、人間として不出来だ、ということになります。(これも一種の思い込みかもしれませんが…)
私は他人のミスや不真面目にとてつもなく不寛容な人間であるため、はっきり言ってとても短気です。表立って怒りを、怒鳴るという形で相手にぶつけることは絶対にしないようにしていますが(反面教師です)、ものすごく短気なのに、それを内側に溜め込むとどうなるかといえば、当然ストレスがものすごく溜まります。
ストレス耐性が低いので、ストレスが溜まると激しく泣いたり怒ったり、とにかく疲れるような感情の消費の仕方をします。家で1人で。
自慢できることではないですが、何を隠そう診断では、ストレス耐性と体力が10点ぶんしかないため、感情を激しく動かすことで、ものすごく体力を消費します。(ものすごく疲れる)
そうして、自分が激しく他人に怒ることや、他人を許せないことに対して、今度は自分の不寛容に対して許せなくなり、怒り始めます。
人間としてものすごいバグを抱えて生きているな…と自分でも悲しくなるのですが、そうなると「自分死ねーーーっ!!!」という風に癇癪を起こし、最終的にはリストカットしたりします…(すみません)
結局自分の怒りの根源に何があるかと考えると、その先にはいつも父親(もう死んでますが)がいて、私は幼い頃から父親の不真面目で母親が割を食っている、損をしている場面を沢山見て育ちました。もちろん損をしたのは母親だけでなく、それに巻き込まれた私含む家族も同様です。
(そう考えると、自分を生み出した存在である父親が間違っていて、だから私は、生まれたところから間違いで、、という負のループに陥ってしまう事がよくあります。よくないね。)
相手を許すことで自分が損をする、と思いました。
だから、怒ってしまった話を他人にすると、よく「それは○○さんだからしょうがない」と言われるのですが、それを聞く度に、「なぜ私は何も悪いことをしていないのに、悪い事をした相手を許さなければならないのか」という気分になっていました。(実際、今も腑に落ちてはいませんが…)
しかし、友達の話では、どうやらその理屈は違うようなのです。
許すというよりは、動かしようがない事実を認め、諦めて次へ向かうこと。
怒るということは、何かが自分の思い通りに動かず、それをコントロールしようとしているということでもあると思いますが、しかし怒っても悲しんでも、動かせないものはあります。
どうしようもない人のために感情を激しく動かしてエネルギーを使ってしまうことよりも、自分がより前に進むことにエネルギーを使う、ということ。
怒りを持続させないように、他のことに気を向けるということ。切り替えて次に向かうこと。
(余談ですが、診断テストでは転換力も低かった…)
結果的に自分の感情をコントロール出来ずに損をしてしまうよりも、どうしようもなかった事実を置いて先に進むこと。
もう父親は死んでいるから、怒っても罪を償わせることは出来ないし、謝らせることは出来ないし、どうしようもない、過去起こってしまったその事実は、何であっても動かせないものだから、そいつを置いて、私は1人先に進んで行きます、という、要は考え方の問題ではありますが、それが大事だということのようです。
そしてその過程で自分が怒っている、ということも事実として認めること。
怒りたくないと思えば思うほどストレスも溜まるし、怒る自分に対して不寛容になります。自分に不寛容になると、余裕がなくなり、またイライラします。
そうではなく、まず怒る自分を許すことからはじめる。自分を許さなければ、当たり前ですが他人を許すことも難しくなります。
歌詞やドラマで使い古されているセリフに、「自分を愛せない人は他人も愛せない」というものがありますが、まさにその通りだなとしみじみと感じます。
まーーしかし散々メンタル向上を目指していて、自己肯定感をあげるとか、そういう試みをしていなかったわけではなく…。
最近SNSで見た知見によると、人間は自分のことを物理的に愛するのは不可能らしいので、自分の好きなことを増やすのが良いようです。
少し話が飛びましたが、自分ではなく、他に愛を見出すことが自分を受け入れる力になるわけです。人間って本当に不思議ですね。結局本当の本当に1人で1つでは生きていけないわけだ。
いつも通り話が長くなりましたが、
認めること、許すこと、受け入れること、諦めること、どれもおなじ話です。
シンプルに自分にも他人にも優しく生きていければいいなって。今日はここで終わりです。