左手ちゃんの日記

すぐしにたくなっちゃう人の日記

死にたい気持ちは一過性

こんばんは。左手ちゃんです。

ストレスと闘いながらぼちぼち生きています。

 

死にたい気持ちは一過性です。

平たくいえば発作のようなもので、それは突然襲いかかってきて、コントロールがききません。

 

死にたいという気持ちは、全てをどうでも良くさせる力があります。死ねば全て終わりだから、死んでしまえば未来のことを考えて不安にならずに済む、そんなことを思うのです。

 

私は何度か遺書を書いたことがありますが、その内容はどれも共通していて、

・葬式形式の指定

・家族への恨み

・私は宗教を信じていないこと

・遺産相続者の指定

・友達への感謝と謝罪

・私と関わったすべての人に、私が死んだことは私が原因なので、私のことはすぐに忘れて幸せに生きて欲しいこと

が共通事項でした。

 

ただほんとうに、死にたくなっている時って全てがどうでも良くなっているはずなのに、遺す人達のことを気にしている時点でどうかと思いますが…。

 

ただほんとうに死にたいと思っている時というのは、どちらかといえば、「死ななければならない」と思い込んでいるという表現の方がニュアンスが近いです。

 

私は間違った存在から生まれた間違った存在、誰からも無償の愛を受け取れず、いつまで経っても不出来な存在であるから、私は生きている価値がない世界には不要な存在だと。私が私自身のことを不幸だと感じることは私のせいであるから、それならば死んでしまった方がよいのだ、と、そういう気持ちなわけです。

 

今これを書いている私は、死にたい気持ちから少し離れたところにいるので、そのようなことは考えないわけですか、しかし今こうして、文章を書いている最中にも、やはりそうでなければならないと思い込みそうになるので、言葉の力というのはとても恐ろしいものです。

 

やまない雨はない、そういう言葉がありますが、死にたい気持ちもいつかは終わりを告げます。それを信じて生きていくしかないのです。

 

もしかしたらまた、他の日には死にたい気持ちが近くにいる日が来るかもしれないけど、それでも最近はだんだんと小さくなっているのを感じます。

 

書くことで思い込むというのは大事なので、気持ちをゆるやかに保ちつつ、死にたい気持ちの総量を少しでも減らせるといいなという気持ちを込めて。おやすみなさい。