左手ちゃんの日記

すぐしにたくなっちゃう人の日記

お母さんは毎週金曜日の夜にいなくなる話。

これも私が子供の頃の話。

いつの頃だかはもう思い出せないが、私が中学か小学生か、そのくらいの話だ。

 

お母さんは毎週金曜日の夜になるといなくなって、月曜日の朝に帰ってくる人だった。

 

「お母さんは?」

「知らな〜い、またどっか行ったんじゃない?」

 

私はいつも嘘をついた。

お母さんの居場所はなんとなく検討がついていたくせに、それを言うと1番上の兄は不機嫌になるから。

 

毎週金曜日の夜に消えるのは、母親が不倫相手と密会していたからというのは、三兄弟全員が知っていたことだった。

兄も、知らずに聞いている訳ではなく、いない母親を私に向かって責めているだけで、私は母親に、知らないって言ってねと言われていたからこう答えていただけ。

 

そういう時期は長く続いた。

決まってリビングに置いてある封筒(場所は父親には秘密だったので隠してあった、なぜなら使ってしまうから)の中に何千円か入っていて、私たち兄弟は1人500円でコンビニでお弁当を買って食べた。

 

そういう思い出を今振り返って、当時は本当になんとも思ってなかったけど、これって軽い育児放棄では…?と思ってしまい、今に至る。

 

なんだかうちの家がほとんどゴミ屋敷みたいになっていたのも、親のどちらかがするはずの片付けや掃除をしていなかったから、自然とそうなっていたんじゃないのか…?

 

今更なんだけど、うちの家ってほんとうに親が親として機能してなかったから、普通に今生活していると本当に思うけど、ちゃんと機能している親って本当にすごいよ。

 

実家が遠くにある同期とかが実家に帰るという話を聞く度に、ちゃんとしている家だから居心地が良くて、だから帰りたいと思うんだろうなあって思う。私はあの家に帰りたいとは思ったことはないけど、そういう家だったら、帰りたかっただろうなあと思う。

 

帰りたい家がないことが最近とても苦しい。クソ上司のハラスメントに合って、仕事を辞めたいと思っても、帰る家がないから辞めたら路頭に迷ってしまうし、こういう状況を伝えたところできっと、「宗教を信じてないから」と言われることは予想がつく。逃げ場はどこにもない。

 

そんなクソ上司でさえ、家では良いパパをやっているみたいで、仕事の途中で息子の誕生日に3000円台もするケーキをさらっと買って帰り、家族でディズニーランドホテルに泊まったり、奥さんと銀婚旅行に行くらしく、私はそれを聞いて、「いいなあ」と感じてとても惨めに思ってしまった。

 

たしかに、酔っ払って新卒の女をセックスに誘いそうになる50代のおじさんはヤバいんだけど、それは家族からしたら見えていない部分なわけで、立派なパパでしかないわけで。毎日働いてるし役職は偉いし酒飲みすぎて家でうんち漏らしたりしないしタバコで床焦がしたりしないし借金も作らないしきっと学資保険だって勝手に切り崩してない…。

 

私はそれがとても羨ましくて、羨ましいことが悔しくて、つらくて、ここ最近ずっと、その事を考えてしにたくなってしまう。

 

この感情ってきっとどうしようもなくて、ただずっと、「普通の家」に対するコンプレックスは消えないんだと思う。

 

無理に消そうとするのも良くないというのはもう、散々こういう気持ちと向き合ってきてわかっている。今はこれが消えるまでじっと待つしかない。時間が経って悲しくなくなったら、自分に優しくしてあげたい。

 

私が健全な精神を持って幸せになるには、こういう感情とひとつひとつ向き合う必要がある気がするって最近わかったから、ちゃんと向き合っていこうと思う。ひとつひとつ大事に消化して、それが遠い未来の自分の栄養になればいいと思う。

 

 

八方美人のメリットデメリットの話

私はものすごく八方美人だ。

本当に誰にでも好かれたいので、誰かを特別視すること、誰かを特別視している私を他人に見られることを嫌う。

 

しかし全人類にモテるなど到底不可能な話で、いくらローラメルシエのアンバーバニラの香水をつけたところで、「人類モテ」は叶うはずはない。

(あれはバニラ系というか、ココナッツ系のいい匂いでした、Twitter情報ありがとう。)

 

という具合に、誰かに嫌われることが怖いので過激な発言をしたらそのあとで賛成意見を補ってしまうという、見事な構文が意図せずして完成してしまったが、しかしあの香水はなかなか評判がよかったので、事実「人類モテ」は嘘ではないと思う。結構甘めなので多少好みは別れるだろうが。

 

話題が逸れてしまったので元に戻すが、私はとかく八方美人で、誰にでもいい顔をしたがる。

これは良い事でも悪いことでもなく、ただの事実なので、どうしようもないことだが。

 

個人的八方美人の特徴として、

・誰にでもいい顔をする

・他人に気に入られようとして媚びを売る

・嫌われたくないので頼み事を断るのが難しい

・事なかれ主義

・自分に自信がなく、常に自分の行動指針の中に他人の行動指針が存在する

というものがある。

 

ほかは読めばわかるから説明は割愛するが、最後の項目についてだけはわかりづらいと思うので少しだけ補足すると、例えば、「○○ちゃんに嫌われたくないから、こういう行動はとらないようにしないと」、のようなことだ。

自分が八方美人だと自覚したのは最近でもないが、常に自分の行動指針の中に、「他人に嫌われたくないからやらなきゃ」「他人に好かれたいからやらなきゃ」というよくわからない不純物が長い間混じっていた気がする。

他人の気持ちはコントロール出来るようなものではないので、他人を気にして行動することはとても愚かなことだと、自分勝手に生きることが1番結果的に楽しい人生になると、ずっと知っているはずなのに、すぐ忘れてしまう。あたしドリー、すぐ忘れちゃうの。

 

それはともかくとして、私が八方美人に生きていることのデメリットを、最近とても感じ始めたのでそれについての話をする。

 

八方美人を悪口風に書くと、色んな人間に無駄に媚びを売りすぎる人間ということになるが、私はまさに色んな人間に無駄に媚びを売りすぎて最近ものすごい損をした。

 

具体的にいえば上司から性的な方面でのハラスメントを受けた。

これ以上詳しく言うと身の危険とかもあるので詳しくは説明しませんが…。

 

色んな人間に無駄に媚びを売りすぎるというのは、結果的に自分の価値を落とし、安売りしているということになる。

 

たくさんの人に好かれやすいというメリットはあるものの、代償がデカすぎる。

 

リップサービスが多いアイドルには厄介なファンがそれだけ多くつくのと同じで、よくわからない変なものまで引き寄せてしまうので、非常に健康によろしくないのだ。

 

八方美人は、好かれたい人を選んで、嫌いな人間には嫌われる勇気をもたなくてはいけない。

あまりにも当たり前のことを言っているとは思うが、全人類に好かれることは前述の通り到底無理だし、ならば好かれたい人間は選ばなければならない、それだけのことが私にはあまりにも難しいことのように思えてしまう。

 

基本的に不平等なことが嫌いだから、それを他人にもしたくないという私の生きる上での美学も関係してくるが、好かれたい人間を選ぶことは、一方でその好かれたい人間たちだけを特別視することであるので、「あの人は人によって態度を変える」と思われる可能性を孕んでいる行動なので、私にはとても恐ろしいことのように思えるのだ。

 

しかし、好かれたい人に好かれるには、信用されるには、人を選んで付き合うことはとても必要なことだと思う。

 

誰かを選ぶことは誰かを選ばなかったことでもある。だからといって、選ばれなかった誰かが可哀想だって思ってなんかいられない。

 

私は今幸せに向かって真っ直ぐに歩くのだ。

脇道にはそれない。

自分の幸せのために、誰かを選ぶということ、順位をつけるということ、時にはそれを選択する強い意志をもつこと。

 

忘れないでねって話。

 

 

好きすぎて苦しいのは。

好きすぎて苦しいのは良くない。

 

この頭お花畑は何をいきなり言ってんだと思うかもしれないが、好きすぎて苦しいというのは意味不明すぎてよくない。

 

何があったかといえば、例のタバコの人と付き合うことになった。

 

私はこんなの関係ないなと思いつつも、恋愛に関するまとめサイトなどを見てしまいがちなタチなのだが、結局そういったまとめサイトには「一般的な恋愛の形」、つまりは何回目のデートで告白するのが無難だのなんだのという、平均的にはこんな感じです、というようなことしか書いていない。「3回目デート神話」だって、平均的にはそう、と言うだけでその平均の中には1回目もあるし257回目とかもあるだろう。1番真ん中に収まる必要はないし、およそ「普通」

から外れた人生を送ってきた私に、それが通用するはずもない。(でも見ちゃうんだけどね…)

 

 

話が逸れたが、私は1度目のデートでその人に自分の想いを伝え、保留にされ、2度目のデートでやっとこさお試し期間として付き合えることになったわけだ。

 

晴れて付き合えることになって、めでたし、めでたし、とは行かないのが「恋愛」の悲しいところだ。

 

自分から告白したということもあり、自分はものすごく相手のことが好きなのに、相手はそうでもない、という、付き合っているのに片思い、という、現状かなり訳の分からない感じになっている。

 

付き合っているのに、という所が余計に私を悩ませるのだろうか、これが「好きすぎて苦しい」ということに繋がってくる。

 

そもそもなぜ「好きすぎて苦しい」のか?我々はその謎を探るべくアマゾンの奥地へとは向かわずに、インターネットの海へ向かった。

 

ちょっと調べたところによると、自分が相手に対して寄せている好意と、相手が自分に持っている好意が釣り合っていないと感じているから苦しい、らしい。

あとはおそらく、自分が相手に「これだけ好きでいて欲しい」という期待と、相手の好意が釣り合っていないということもあるだろう。

 

あ〜…なるほどね。はいはい。

うんうん。

いくらそう言い聞かせて読んでみても納得出来ないし実感も湧かない。

「そもそも好きすぎるとかどうしようもないじゃん!」と思っている自分もいて、なかなかつらくなってくる。

 

ここしばらくこの人が好きだという気持ちに対してじっと向き合っていたから、その人のことしか考えられず、何をしていてもその人のことを考えてしまう、恋愛メンヘラになってしまっていて、自分がこのままだとダメになってしまうと思った。とにかくこの記事を書いたのはそういう理由だ。

 

今日はBOOKOFFには別の用事があって行ったのだが、ふと目に止まって、恋愛の啓蒙本?を今日読んで気づいた。

 

「あっ、今自分のこと好きじゃない、やばい」って。

 

その本には、「好きな人とずーっと幸せで一緒にいる方法」についての恋愛哲学について書かれていて、最後に、対になる人のことを考えた時に、あなたと一生一緒にいるのはあなたですと書かれていて、だからあなたを愛さないことにはずっと幸せになれないままだとも書かれていた。

 

私は一番大事なことを忘れるところだった。

いつもいつも意識しているつもりではいても、いつの間にかズブズブと沈んでしまうところだった。

 

自分のことを好きになれないなら恋愛をする意味もない。

恋愛を別のものに置き換えてみるとわかりやすい。もっと言うと主語を自分ではなく大切にしている友達にしてみるとわかりやすい。

 

そんなに辛いなら辞めた方がいいよ…とアドバイスするに決まってる。

 

「好きすぎてしんどい」という精神状態は、とても不健康だ。なぜなら自分の幸せが他人の気分によって左右されてしまうから。そしてその他人の気分は自分でコントロールできるようなものではなく、コントロールしてもいけないものだからだ。

 

好きな人がいなくても生きていける自分は精神的に安定しているので、ついでに好きな人がいればもっと幸せになれるが、好きな人がいないと生きていけない自分というのは、好きな人に好かれていないと思い込めば簡単に自己肯定感が下がり、好きな人がいなくても生きていける自分のように1人で生きていける力はないので、どんどん自分のことも嫌いになってしまう。そして自分のことが嫌いになった私は、相手のことも落ち着いて見つめることが出来なくなってしまう。結果、別れる。

 

とにかく好きな人がいないと生きていけない自分というのは、とても愚かでとても弱い。

そもそももって、自分が理想とした恋愛の形は、「1人で生きていけるけど、2人でいればもっと幸せになれる」というものだったはずだし、私は一番大事な、自分のことを好きになることを忘れるところだった。

 

「恋は盲目」とはよく言ったものだが、恋愛は恋している対象のことはもちろん、自分のことまで見えなくさせてしまうことだってある。

 

自分が不安定になる恋愛は長くは続かないし、それは絶対に、「好きな人とずーっと幸せで一緒にいる」ことには向かっていない。

 

私が健全で安定した幸せを手に入れるために、そして誰かと2人で生きていくためには、私は1人でも生きていける私であらねばならない。

 

友達と出かけることを生きがいにしている私。ゲームを生きがいにしている私。音楽を生きがいにしている私。働いて給料を貰う私。私のために毎日料理を作る私。一人でも生きていける私。

 

そこに、好きな人と一緒にいて幸せな私が加わること。それが私の目指す私。

 

これが、「好きな人がいないと生きていけない私」になると、それしか生きがいがなくなってしまって、その人が消えたら、人生の楽しみは消えてしまうことになる。

 

私が幸せになるために、もう1回思い出したい。自分を好きになること。その人がいなくても自分は当たり前に生活できていたこと。自分は安定した幸せが欲しいこと。

 

シンプルで大事なことって、疲れていたり悩んでいると忘れてしまいがちだ。だから文章を書くことで、ちゃんと忘れないように残しておこうと思う。私は幸せになるんだってことをね。

 

 

病気の話

ここ最近病院に行ってばかりいる。

別に特にたいした病気を患っている訳ではないて、ただ花粉症で耳鼻科、ニキビで皮膚科に行った、というだけのことだ。

 

人生20年生きてきてようやく最近気づいたことは、病院に行けば大抵の事はなんとかなるということ。

 

私は最近、自分は精神病なのでは?と思うことが多くある。それは月経によるメンタルの一時的な不調だったり、自分の感情をうまくコントロール出来なかったり、ときに自分が人より鈍臭いような気がしたり、人間とコミュニケーションをとる際に極端に不安になってどうしようもなくなったりするから。

 

ADHD?不安障害?双極性障害

自分が病気であるのなら、なんとなく納得が行く気がするし、その方が世間も許してくれるような気がする。

 

精神科にかかったことがないのでなんとも言えないが、よく「精神病は甘え」とか言う人がいるが、もしかたらたしかにその通りなのかもしれない。その人が鬱だと言えば診断書は鬱だと診断するだろうし、私も長年父を見てそう思ってきた。本当に鬱だったらこんなことできない、とか、家では元気だし、とかなんとか言って。

精神の弱い人間に偏見があったし、休むことは私にとって「甘え」だった。

 

でもようやく最近になって、自分の心が思ったより弱かったことを知り、自分がしていたことを少し後悔した。

あの時寄り添ってあげていれば父は変わっていたのか、とか今でもそう思う瞬間はあるけど、それを小学生とか中学生の私に要求されても無理があるし、タイムマシンが発明されない限りそれを実行することは不可能だし、私は今でも父のことが許せない。

 

精神病だから、お酒を飲んでるから、人に黙ってクレジットカード使って借金作ったり、学資保険勝手に下ろして使い込んだり、妻や子供に暴力とか暴言とか浴びせていいわけじゃないでしょ。

 

お酒を飲みすぎて怒鳴る父も、それに対応してヒステリックに叫ぶ母も、ただただ怖かった。喧嘩してる声がリフレインして、喧嘩してない時にもきこえるようになった。それから私は人の怒鳴り声が怖い。

 

怖いからずーっと何もしないできた。近寄らずに、父親の洗濯物さえ汚物のように扱って(実際にアルコールのせいで漏らしたりしてて物理的に汚かったのもある)、父親が単身赴任してからも、家に帰ってくると、極力部屋から出ないようにした。怖かったから。

 

でもつい最近父親が帰ってきた時、家が1番荒れていた時よりかなり時間が経って、病気もして恐怖感が薄れていたせいか、気まぐれでうっかり普通に話をしてしまった。私が構えていたのと反してなんともなかった。私は考えた。

 

普通にしていれば普通の人だった?悪いのは家族のみんなだった?もうよくわからなくなってきた。私がなにか悪いことをした訳でもないのに、どうして罪悪感を抱かなければいけないのか…。

 

怪物みたいに思っていたのに、いつの間にかものすごく弱くてしょぼい存在になっていて、自分が大きくなったことや、親が歳をとったこと、生きてきて時間が経ちまくっていたことを痛感した。

 

私は今就職活動をしている。自分一人で生きていくために、親に頼らないようにするために。きっと自分一人で生きられるようになったら、もっと親が小さい存在に感じてしまうだろうと思う。

 

母親には何かあるごとに「ご飯作ってあげないから」「学費誰が払ってると思ってるの」とか、生命活動の維持に必要なたべものや金銭について脅されてきたが、私が就職することによってそれは意味をなさなくなる。非常に喜ばしいことだ。

 

私は就職活動が一人で出来る。このことが、今の私を「正常」足らしめている気がしている。精神科へ何度も何度も行こうと思ったが、行くのにもハードルが高すぎるし、自分は病気と言えるほど酷くないのでは、という気持ちもあり、ひとまずは就職活動ができる自分を拠り所にし、自分を「正常な人間」と思い込むことで、私は私の精神状態の保証書としたい。

 

私は専門家ではないし、医者にかかったこともなく、精神や障害といったことはかなりデリケートな問題なので、あまり深く突っ込まれても困るのだが、私が私として生きていくために私の精神があと少し持ってくれないと困るので。

 

ここまでが過去の下書き、ここからは就活を終えた未来の私から。

 

しっかり就活を終えました。社会人になっても病んだりしながらなんとか頑張っています。

病んでたって大丈夫です。あなたには素敵な友達がいます。よかったね。

 

私がここまでどうやって生きてきたかという話

ものすごくおおげさなタイトルになってしまった気はするが、タイトルそのままの話をしたいと思う。それはもう突然に。

 

2000年頃、私は関東の方に引っ越してきた。元々関西の方に住んでいたのだが、父親が転勤するという理由だった。私の1番の人生のターニングポイントが多分そこだ。

 

父親が転勤した理由は、簡単に言えば精神を病んだから。これは本人に聞いたわけではないので完全に憶測に過ぎないが、おそらく父親は会社でいじめに合っていたのではないか、といった噂が流れた。家族の中で。

 

もともと父親の実家は金持ちで、コネ入社だったと、これも噂だが。そしてコネ入社だったのでいじめられたんじゃないかっていう話らしい。

 

もう何年か前に亡くなったおじいちゃんは、父親について「〇〇がおかしくなったのは3歳の時、滑り台で誰かに突き飛ばされたからだ」と繰り返し主張していたらしいが、そんな前からおかしかったのか…と思ったし多分嘘だろう。昔から人をいじめてたらしいし、典型的ないいとこの家で育ち、いい子でやってきた父親は弱者にのみストレスをぶつけやすい傾向にあったんだろう。まあ3歳くらいで人間の基本的な人格は決まるって言うしな。滑り台のせいでもいいけど。

 

父親はそんなわけで精神を病み、寺に駆け込んだ。「なんで寺?」とは思ったが、人間精神を病めばよくわかんない行動に出るもんだよな。

そういう経緯を鑑みて、会社の方は父親に転勤を言い渡してきた。

 

ちなみに私は関西に住んでいるときに延々と同じ内容の夢を見ていた。あとから聞いてわかったことだが、母から見て姑に当たる父親の母親、つまり私にとって父方の祖母が、娘を切望していたらしく、待望の女の子が私だったようで、祖母が私だけをたいそう可愛がっていたらしい。そのため私は毎日、母に「ちょっと待っててね」と言われたあと、どこかの綺麗なアパートのゴミ捨て場の前に置き去りにされる夢を繰り返し繰り返し見ていた。

 

そして2000年くらいに関東に引っ越してきた私は、変な夢も見なくなり、そこで運命の人と出会う。といっても今現在はその運命の人とは残念なことに疎遠だが…。

 

割と複雑な家庭環境を持った私にとって、普通の家庭環境で幸せに暮らしている友達を持ったのは、とても幸運なことだった。

 

ちなみにこの時点で父親と母親はもう仲が悪くて、物心ついたときには母親は不倫していた。両親は主に金銭のことで(多分だけど、理由はなんでもよかったんだと思う)毎日のように怒鳴り合いをしていて、喧嘩の最後に母親は家を出るといいながら車に籠るのだが、それを連れ戻すのは毎回私の役目だった。当時は真剣にいなくなってしまうと思っていたし、母親が消えたら怖かったので、毎回真剣に連れ戻していたけど。この辺りが原因で、喧嘩の幻聴が聞こえるようになった。

 

彼女は幼馴染の女の子だったが、小学生の頃あたりから私は自分の性的嗜好に自覚があり、女でも男でも、どっちでも良かった。

彼女はとても人間ができていたし、向かいに住んでいたので彼女の母親も私の家庭環境を知って優しくしてくれていた。

相手がそこに住んでいたという点で必然性はあったが、今思えば家の事情を知っていて話を聞いてくれる人間を求めていただけだったのかもしれない。今でも彼女のことは、私がどう思われていたとしても大好きだと思っているが…。

 

それはそれとして、順調に時が過ぎ、小学生になった私は運動会でソーラン節を踊ることになり、そこで黒いTシャツが必要になった。なぜこんな話をするかといえば、これが母親が今の宗教にハマったきっかけの前フリだからだ。

 

この辺りの時期には既に父がうつ病自己申告を出していて、会社に行ったり行かなかったりを繰り返していて、父は自室に籠るようになり、部屋に入って母が何かを言う度に父親は怒鳴った。何かって言うのは、大抵お酒を飲まないでとか、タバコを辞めてとか、何か高額の物を買わないでとか、そういう事だったけど。

 

全然関係ないけど1度うっかり元彼を家に呼んだときに父親と鉢合わせちゃって、「貴様名を名乗れ」とか言われていた。あのときの元彼くん本当に可哀想だったし、私も可哀想だったな。

 

話は元に戻って、今の宗教にハマる前から母親は宗教を転々としていたし、宗教を転々とする前から不倫をしていたから、これが最初の宗教ではなくて、何番目かの宗教だった。最初の方はヒンドゥーとか、色々だ。まだその辺は結構ライトな宗教だったため、当時子供だった私は、なんとなくで一緒に唱えたりしていたこともあった。

 

が、残念なことに今の宗教はものすごく激しい一神教だ。戦争になりかねないので実名は控えるが、おそらく有名な、「酔うと化け物になる父がつらい」に登場するものと同じ宗派だと思われる。(あの漫画、父親が酔った時にタバコを吸って床を焦がす描写がすごくリアルだった…)

 

運動会当日は雨だった。これがすべてのはじまりだ。私はソーラン節で使うTシャツを家に忘れて、母親に取りに行って欲しいと頼んだ、その道行で母親は骨折した。

 

あの時私がTシャツを忘れなければ。頼まなければ。

 

何度後悔してもしきれないが、歴史は巻き戻せないのでしようがない。骨折した母親は、骨折するくらいだからこの宗教は違うんだと言ってまた新しい宗教を始める。単純だ。

 

私が頼んだことと母親がコケたことに直接の因果関係なんてないくせに、私のせいみたいに言っていたことはずっとムカついているが、そんなのはどうでも良くて、なんか祈ったら折れたところの骨があたたかくなったとかで、その宗教にすっかりハマってしまい、毎週日曜日に集会に連れ出される羽目になったり、それを嫌がると叩かれたり引きずられたり、長男が宗教に堕ちたり、全ての努力が宗教のおかげにされたり、全ての不運が不信心のせいにされたり、まあ、とにかく色々あって私はそのせいでおよそ宗教というものが嫌いになってしまった。

 

たしかに良い宗教があるのもわかっているし、人に口出しはしないが、「もう神社は神の効力が切れているので今は恐ろしい小鬼が住んでいる」だとか吹き込まれたせいで神社を見るのも実は怖いし、クリスマスのCMが流れただけで、家族がいると、「これは正しくない法だ」とテレビのチャンネルを変えられていたので、ちょっとビクッとしてしまうし、私のありとあらゆる生活に、恐ろしさが染み付いているため、いくら熱心に勧誘をされても信じることはないだろう。たぶん。

 

というかたぶんと言うからには割と根拠めいたものがあって、実は1度だけ信じかけたことがある。なんでかと言われれば、私もなんでだろうと思わざるを得ないが、信じた方がうちのコミュニティで生きていくのに楽だったし、褒めてもらえるからに他ならないだろう。しかしそれも、信じた日の翌日に車に跳ねられ、無傷で生還したため、すぐに正気に戻ってしまったが。(母親は、修学旅行で寺に入ったからだとか、無傷で生還できたのは宗教のおかげだとか、全く整合性のないことを言っていた)

 

とにかく色々なことがある人生を送ってきたため、何かにつけて怯えるようになってしまった。

 

兄も暴力をする気質を持っていて、その日の機嫌が悪かったりすると、些細なことでもキレて人を殴る。体格がいいので余計タチが悪いのだが、1度上から思いっきり腹を殴られてしばらく息が出来なくなったこともあるし、ものすごく昔に、私が食器を洗いたくない、と1度拒否しただけで首に包丁を突きつけられて脅されたこともある。まあ、こういう家庭で育っているので、そういう人格になるのも仕方ないっちゃあないかも、と思うこともあるが。基本的には優しい良い兄なので。

 

次男については1番「ふつう」だと思っていたのだが、なんでしょうね、運命ってそういうもんなんですね。(詳しくは前の記事を見てね。)

 

とにかく色々あったね!

 

父方の家からしてものすごく複雑な状況(とてもややこしい話なのでこれは割愛する)だし、なんかもう、うちはそういう呪いとかがかかっているとしか思えない家だ。色々ありすぎて人に説明する時にどこから話していいか割とわからないので、話が混線しているのは勘弁して欲しい。もうとにかく色々ありすぎるくらいあったので、そろそろ幸せになりたいな。

 

この記事は途中まで確実に就活終わる以前に書いていたので、途中までは過去の私なわけなんだけど、多分このとき、何かあったんだと思う。

 

こういう私の不幸な話を聞いて、よくある話で片付けてくる人もたまにいるけど、そんなのは知ったこっちゃなくて、平均的に不幸バロメーター高いだろ、と思ってるからこんな記事書いてんだ他人の不幸を侵害すんなクソボケ、と言った次第である。

 

前回の記事で家族の話をそこそこに書いたが、その前に書き残してあった下書きを見つけたので、「こっちの方が詳しいやん」と思って公開しようかという感じなので、別に唐突に何か嫌なことがあったとかそういうわけではないので安心してね!

 

なんか色々あったけど最近はそこそこ幸せなので、幸せな時じゃないとつらくて最後まで書けないのもあるから、アップしとこう…くらいの気持ちです。

 

今回はこの辺で、さよなら〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家族の話

私は家族の話を、誰にでも話すことをやめた。

誰にでも話すには、私の家族の話は汚くて重たい。

 

知っていて欲しい人にだけ話すようになった。でもそうするといくつか不安が出てくる。

私はよく突然泣き出したり、精神が不安定になることがある。

それは理由がわかっていないと、人によっては困ったり、なんだこいつと思う人もいることだろう。今まで私がいろんな人に家族のことを話していたのは、私のバックグランドを説明して、私のことをわかっていて欲しいと思っていたから。

 

でもそれをこないだ、話したことの無い人に話した。その人はとてもいい人で、私について、「よく今までまっとうに生きてきたね、えらかったね」と、私のことを褒めてくれた。私はそれがすごく嬉しくて、泣きそうになったりした。私はその人が今まで生きていてくれたことに感謝したくなって、何度もありがとう、とお礼を言った。きみが会社の同期でよかったと、心から思った。

 

一人暮らしを始めてから、家族とはほとんどコンタクトを取らなくなった。離れてしばらくしてからは、家族の方から連絡が来たりしてうっとおしいと思ったり、それでもたまに寂しくなったり、色々複雑だったが、時間が経つにつれ向こうから連絡もなくなり、私は今家族とは無縁の生活を送っている。

 

母親のやっている宗教の人達が駅前で布教活動に勤しんでいるのを見た時。父親と似たような男の人の怒鳴り声を聞いた時。自分の伝えたいことが相手にわかってもらえなかった時。

そういう時に私は苦しくなってしまう。

 

苦しくなってしまうではわかりづらいと思うので、もう少し具体的な描写を挟むと、涙が出て、わんわん泣いて、息が苦しくなって、だんだん息が出来なくなって、酸素がなくなって、手足が痺れてきて、とにかく死にたくなる。そういうのが何時間か続く。これを書いてる今も、それを思い出しているだけで涙が出てくる。でもきっとこれもいつか私が幸せになった時、忘れてしまうんだろうと思うから、書き留めておきたくなったので今筆を執っている。

 

こんなにつらくても頑張って生きてきたんだって、だから突然泣いたりしてもびっくりしないで欲しいって、ずっと色んな人に言い訳してきた。でもそんなのは他人には関係がないから、突然泣く私をみて、こいつは心が弱いやつだとか、そういうアピールをするやつだとか、きっとそう思う人はいる。

 

私はそれでも生きていかないといけない。母親より先に死んだら、私はその宗派の葬式をされて、「あの人はこういう宗教やってたんだ」と思われてしまうのが何よりも怖い。だから、消極的にでも私は生きることを選んだ。

 

でも今家族から離れてみて、生きていて楽しいと思うことは沢山あるし、家族以外のことに頭の中の容量が割けるから、それがとても快適で、生きやすい。ふとした瞬間にそういうことを思い出すときもあるけど、基本的には忘れて生きている。

 

家族は呪いだ。血の繋がりは一生解けない。だからつらくても付き合っていくしない。

 

このブログは遺書みたいなものだ。私が突然死んでしまっても、これを誰かが読んでくれれば、私は少なくとも家族と同じ意見で生きている人間ではないことがわかるだろうと思って。そう期待していつも書いている。

 

今は好きな人もいるし、好きな友達もいるし、好きなゲームの発売日も待っているし、当面好きばっかりなので死ぬつもりもない。私はいつもそうやって、死を先延ばしにして生きているから、生きる楽しみがないと生きていけない。でも多分それでいいんだと思う。少しずつ自分は今家族から離れて幸せになっている自覚がある。それを忘れないように生きていれば、自分は今の環境に感謝して、きっと今までより幸せになれると思うから。

 

めんどうなことは未来の自分に託して、今を楽しむために、家族のことは忘れないように、これからも誰かに言い訳したりしなかったりしながら、生きて行ければいいなと思う。

タバコの匂い

匂いと好きという感情は結びついてるとどこかで聞いたことがある。

 

今私には好きな人がいる。

その人はタバコを吸う人だ。なんでタバコを吸うのか聞いたら、長年吸ってきたから吸わないともう落ち着かないらしい。ルーティーン化しているから、朝イヤホンを忘れると私が一日中落ち着かないのとおなじで、吸わないとそわそわしてしまうらしい。

ただ、棒ならなんでもいいみたいだから、お菓子ならダメなのかと聞いたら、すぐなくなってしまうからダメだそうだ。なんとなく、かわいい人だと思った。

 

この辺の話はにおいとは無関係なのでどうでもいい、よくもないけど。

 

私は生まれてこの方、タバコの匂いについていい匂いだと思ったことがなかった。むしろくさくて不快で迷惑なものだとずっと思っていた。

それにはそこそこちゃんとした理由があって、父親がタバコを吸う人だった。それも毎日のように台所で吸うのだ。私にはそれが信じられなかったし、迷惑を顧みないその姿勢がとても嫌だったし、何より喘息持ちの母親や家族に迷惑をかけてのうのうと生きている父のことが嫌いだった。タバコを吸っていたせいなのか、酒をアホみたいに飲んでいたせいか、臓器を壊して入院して、1度植物人間のような状態になったこともあった。タバコやお酒や謎の買い物のせいで、私のために使われるはずだった学資保険金を全て使い込み、クレジットカードで3桁を超える借金をしても、それでもあいつがタバコを辞めることはなくて、私はずっとずっと苦しかった。タバコを見るのも嫌だった。誰が吸ってたって同じで、タバコという存在自体が悪者なんだって、そう思い込みたかった。

 

しばらく会っていないので今の状況はなんとも言えないが、今父親は、てんかんを患っていて、記憶の整合性が取れない時がある。ただ最近母親に会った時、また会社を無断欠勤したという話を聞いた。

酒を飲んで私たちに怒鳴っていた怪物のような姿はすっかり小さくなって、今はなぜあんなものに怯えていたのか自分でも分からない。社会人になって自分が1人でも生きていけることが判明してから、両親は小さく見えるようになった。父親は多分いつ死んでもおかしくない。きっと私たちにしたことも忘れて、反省もせずに死んでいくんだろう。

 

父がこの先死んだとしても、私は悲しくならないのではと不安に思うくらい、私は父のことが嫌いで、それと同じようにその父が吸っているタバコの匂いが嫌いだった。

 

でも、好きな人のタバコの匂いはなぜかとてもいい匂いに思えた。

それは私にとって革命だった。22年間生きてきて、タバコの匂いがいい匂いだと感じたことなんて1度もなかった私にとって、世界の色が変わったような、そんな感覚だった。

好きになった人は、父親とは比べるのも失礼なくらい、優しくて素敵な人だ。タバコを吸うけど、吸う前にちゃんと吸っていいか確認をとるし、その人がタバコを吸っているところを、横から眺めるのが好きだ。好きな人の好きな物だから、なんでも素敵に見えるというのもあるかもしれないけど。

人を好きになったおかげで、少なくともタバコ自体が悪いのではなくて、吸っている人間(ここでは父親)の振る舞いが嫌なのだということに気づくことができた。

 

好きな人のタバコはいい匂いがする。今はそう感じられることが凄く嬉しい。ありがとう好きな人。今日もマルボロを見かける度に、あなたの名前を思い出しています。