左手ちゃんの日記

すぐしにたくなっちゃう人の日記

家族の話

私は家族の話を、誰にでも話すことをやめた。

誰にでも話すには、私の家族の話は汚くて重たい。

 

知っていて欲しい人にだけ話すようになった。でもそうするといくつか不安が出てくる。

私はよく突然泣き出したり、精神が不安定になることがある。

それは理由がわかっていないと、人によっては困ったり、なんだこいつと思う人もいることだろう。今まで私がいろんな人に家族のことを話していたのは、私のバックグランドを説明して、私のことをわかっていて欲しいと思っていたから。

 

でもそれをこないだ、話したことの無い人に話した。その人はとてもいい人で、私について、「よく今までまっとうに生きてきたね、えらかったね」と、私のことを褒めてくれた。私はそれがすごく嬉しくて、泣きそうになったりした。私はその人が今まで生きていてくれたことに感謝したくなって、何度もありがとう、とお礼を言った。きみが会社の同期でよかったと、心から思った。

 

一人暮らしを始めてから、家族とはほとんどコンタクトを取らなくなった。離れてしばらくしてからは、家族の方から連絡が来たりしてうっとおしいと思ったり、それでもたまに寂しくなったり、色々複雑だったが、時間が経つにつれ向こうから連絡もなくなり、私は今家族とは無縁の生活を送っている。

 

母親のやっている宗教の人達が駅前で布教活動に勤しんでいるのを見た時。父親と似たような男の人の怒鳴り声を聞いた時。自分の伝えたいことが相手にわかってもらえなかった時。

そういう時に私は苦しくなってしまう。

 

苦しくなってしまうではわかりづらいと思うので、もう少し具体的な描写を挟むと、涙が出て、わんわん泣いて、息が苦しくなって、だんだん息が出来なくなって、酸素がなくなって、手足が痺れてきて、とにかく死にたくなる。そういうのが何時間か続く。これを書いてる今も、それを思い出しているだけで涙が出てくる。でもきっとこれもいつか私が幸せになった時、忘れてしまうんだろうと思うから、書き留めておきたくなったので今筆を執っている。

 

こんなにつらくても頑張って生きてきたんだって、だから突然泣いたりしてもびっくりしないで欲しいって、ずっと色んな人に言い訳してきた。でもそんなのは他人には関係がないから、突然泣く私をみて、こいつは心が弱いやつだとか、そういうアピールをするやつだとか、きっとそう思う人はいる。

 

私はそれでも生きていかないといけない。母親より先に死んだら、私はその宗派の葬式をされて、「あの人はこういう宗教やってたんだ」と思われてしまうのが何よりも怖い。だから、消極的にでも私は生きることを選んだ。

 

でも今家族から離れてみて、生きていて楽しいと思うことは沢山あるし、家族以外のことに頭の中の容量が割けるから、それがとても快適で、生きやすい。ふとした瞬間にそういうことを思い出すときもあるけど、基本的には忘れて生きている。

 

家族は呪いだ。血の繋がりは一生解けない。だからつらくても付き合っていくしない。

 

このブログは遺書みたいなものだ。私が突然死んでしまっても、これを誰かが読んでくれれば、私は少なくとも家族と同じ意見で生きている人間ではないことがわかるだろうと思って。そう期待していつも書いている。

 

今は好きな人もいるし、好きな友達もいるし、好きなゲームの発売日も待っているし、当面好きばっかりなので死ぬつもりもない。私はいつもそうやって、死を先延ばしにして生きているから、生きる楽しみがないと生きていけない。でも多分それでいいんだと思う。少しずつ自分は今家族から離れて幸せになっている自覚がある。それを忘れないように生きていれば、自分は今の環境に感謝して、きっと今までより幸せになれると思うから。

 

めんどうなことは未来の自分に託して、今を楽しむために、家族のことは忘れないように、これからも誰かに言い訳したりしなかったりしながら、生きて行ければいいなと思う。